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甲子園口通信
H先生
先日、H先生の診療所が取り壊されて更地になっていたのを目にした。近隣の歯科医の先生のオフィスの中では、群を抜いて垢抜けた感じであったと記憶している。先生が亡くなられて何年になるんだろう。
やせ形で、ロマンスグレーで、おしゃれで、いつもアスコットタイをされていたように覚えている。同世代の先生とはまるで違う、ある意味、センスの良さが漂っていた。一度うちに遊びにいらっしゃい、結構いいオーディオがあるから、聞きに来なさいと何度もお誘いを受けたが、芦屋の奥池のご自宅にお邪魔することは遂に叶わなかった。H先生は私が西宮市歯科医師会に入会した時に、広報の理事を担当されており、私が自己紹介の欄に趣味を写真と読書などと書いていたものだから、庶務委員を経ずに広報委員へ引き抜いて下さったと、後日、人から聞かされた。おかげで、会報の取材やら編集に携わらせてもらい、色々学ばせてもらい、後々大いに役立ったと感謝している。
そんなH先生であったが、記憶されている方もいらっしゃると思うが、こともあろうに新神戸のホテルでの暴力団の発砲事件に巻き込まれて、敢え無く亡くなってしまった。主を無くしたオフィスは非会員の先生が何年か利用されていた。そのオフィスが、…。
アズナブールのラ・ボエームの一節に、アパルトマンの影さえ無く、歩きなれた道も消えてた、というのがあったが、そんな感傷的な気分に思わずなってしまった。